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母としての習性、娘としての習性

母は茶の間で寝ている。
寝るぎりぎりまでテレビを見ていたいというのと、
夜中に、まるで赤ん坊の世話をするように老猫の世話をしなければならない
という理由から。

パソコンをいじったり、テレビを見たりして深夜になって
ふと茶の間に忘れ物をしてきたことに気づくことがある。
そんな時は、母が眠っている茶の間に足音を忍ばせて入っていくのだけれど
どんなに熟睡していても必ず彼女はそれに気づいて
寝ぼけた声でこう言う。
「どうしたの?」

まだ私が小学生だった頃のこと。
妙に神経質な子供だった私は一時期不眠症になった。
眠ろう眠ろうとすればするほど神経は研ぎ澄まされてゆき、
どうしても我慢ができなくなると私はなんとも力のない声で母を呼んだ。
あのときの彼女の敏感だったこと。
眠れなくて疲れ果てた子供の小さな声を必ず聞きつけては
母は私の部屋へやってきた。
後々私が成長してから
「よくあんな声が聞こえたものだよね」と母に言うと、
「母親っていうのはねぇ、どんなに熟睡していても
なぜか子供の声だけは聞こえてしまうものなのよ」
と彼女は言った。

恐らくは目を閉じたまま、意識の半分を眠りの中に残したままで
「どうしたの?」と問う母に
「ごめん、携帯を忘れた」なんぞと答えながら
"この人、まだ母親だ" と私は思う。
60を超え、二人の娘たちもとうに大人になった今でも
彼女はまだあの時と同じ母親のままだ。

でも、それよりも私が驚くのは
「どうしたの?」という母の声を聞くたびにわけもなくほっとする自分。
とうに大人になって、もう親の手を借りなければできない事なんて恐らくはひとつもない。
なのに、この瞬間私はあの時と同じ娘のままだ。
この母の娘のまま。

母としての習性と、娘としての習性は、
数十年の間に積み重なったものの奥底にまだしっかりとすり込まれていて、
どうやらそう簡単に消えることはないみたいだ。

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Top▲ | by mikansky | 2005-07-09 22:46 | other
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