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私が子供だった頃

今日、友達と話したこと。
子供の頃の私のこと。

幼稚園生だった頃から、本にのめりこむ子供でした。
いつのまにか活字が活字でなくなって、
空想の中に入り込んでしまうこともしばしば。

小学校高学年から中学生になる頃は、
いろいろなことを不必要なほどに深く考えてしまう
そんな子供になっていました。
答えが欲しいことが沢山あったけれど、
それを誰に尋ねたらいいのかがわからずに
戸惑っていました。
友達は、私が考えているようなことを考えていないように思えて、
ひょっとしたら自分はおかしい子供なのかもしれないと
感じ始めたのもこの頃です。
母親が
「この子は感受性が強すぎるので、
普通なら感じなくてもいいことまで感じ取ってしまい、
辛い思いをする子です」
と言ったのを耳にしたことがありました。
私はそんな子供なのか、と不思議な気持ちになりました。

私は、先生に恵まれていたとつくづく思います。
考えすぎ、言葉に異様に執着をし、
いつも何かを探しているような子供を
変わり者扱いしない先生にばかり出会うことができました。

中学2年・3年のときの担任の先生は
私に一冊のノートを与えてくれました。
「知りたいことや、考えることがあれば文字にして出してみなさい。
君が納得できる答えを僕が持っているとは限らないけれど、
真剣に読みますから」
私が書いた文章すべてに、先生は返事を書いてくれました。
書くという行為が私にとっての自浄行為となったのはこの時からです。

卒業式の日、先生は、クラス皆で撮った写真を台紙に貼り、
その台紙に自筆でそれぞれの生徒へのメッセージを書き込んだものを
贈ってくれました。
私の台紙にはこうありました。
「ミカさん
時に恐ろしくなるほどに、すてきな文章を書く生徒でした。
読ませてくれてありがとう。
これからもずっと、曇りのない目で真実を探して下さい。
奥の奥にある何かを見出す人になってください」

そんな大人に恵まれたから、
私は、自分が変な子供ではないと確信することができました。
他の子供たちからすれば奇妙に思えることを口にしたために
仲間はずれにされたこともあって、
それは、つい最近まであまり口にできないくらいの
トラウマになっていたけれど、
(だから私は今でも異様なくらい人の反応がとても気になってしまいます)
それでもどうにか大人になれたのは、あの大人たちのおかげだと思います。

余談ですが、最後に、先生がみんなの台紙に書いた言葉。
「生きて生きて、生き抜いてください。
絶対に死んではいけません」
変わっていることも、弱いことも、
絶対的な間違いではないから、
生きることすら辛くなるような場所にいるのなら、
今すぐそこから離れましょう。
それを、逃げだとか弱さだと呼ぶ人がいても気にすることはない。
生きることこそ強さの要るものだから、
あえてその厳しさの中に身を置くために
そこから立ち去ることは絶対に弱さではないはずです。
人生はバラ色なんて思わないけれど、
それでも結構面白いものです。
最後まで味わった方が断然お得です。

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Top▲ | by mikansky | 2006-11-13 22:44 | other
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