先日、舞台『エレンディラ』の記事を書きました。
その時、どうしてラテンアメリカの物語には幻想的、 言い換えればsupernaturalな描写が多いのだろう、と気になりました。 以前読んだ『赤い薔薇ソースの謎』もそう。 それをじっくり探るために、 『無垢なエレンディラと無常な祖母の信じがたい悲惨の話』 G.ガルシア・マルケス。 目と耳と気配を感じる神経全てを使って見入る舞台と、 文字だけを追って、後は自分の中の想像の力で追いかける本とでは 感じるもの、見えてくるものに少し違いがあることに気づきました。 舞台では、孫娘に体を売らせる祖母の、 醜い部分ばかりが私の中へ入り込んできましたが、 自分のペースでじっくりと文字を辿ってくと まったく印象が変わってくるのです。 毒を盛られ、ごっそりと抜け落ちる毛髪。 なのに、自らの両手で残る毛もむしりとっては声を上げて笑うおばあちゃん。 舞台でもこの場面はありました。 その時はなんともおぞましく感じたのですが、 本を読んでいるとなぜか彼女の逞しさを羨望してしまうのです。 私は、弱さゆえの毒々しさを抱えた女です。 エレンディラの祖母のように、 強さゆえの毒々しさを背負って生きられたら どんなに潔い女になれるだろうと つくづくと思います。 そのくせ、この祖母は、 半分眠りの中へ入り込んだ状態のときに、寝言のように、 大変ロマンティックな物語を語ります。 男たちに自分の孫娘を抱かせては金子を稼ぐ彼女の方が、 私よりはずっと魅力的な女です。 亡くなった亭主にそっくりな若者に、祖母が出会う場面があります。 祖母を演じた瑳川哲朗は、その場面の稽古中に突然 女性の気持ちになって、哀しくて哀しくて、涙が止まらなくなったそうです。 芝居の後にパンフレットでそれを読んだ時は 「泣くか?」と思いましたが、 本を読み終えた今は、彼の気持ちが痛いほどわかります。 本のあとがきに、 ラテンアメリカの現実はわれわれの現実をはるかに超えている、 とあります。 たとえば、女性が香水をつけて川岸を歩くと その匂いにひかれて集まってきた無数の蝶が、 汗を吸おうと女性の体に群がるのだそうです。 それを遠くから見ると、 まるで女性が蝶に包まれて天に昇っていくように見えるとか。 私たちには驚きのそんな光景も、 ラテンアメリカの人たちにとっては日常で、 そこで更なる驚きを求めようとするなら、 更なる創造を行わなければならないと。 私がsupernaturalととらえた点も、彼らにとってはnaturalなのかもしれません。 登場する人物も、それを取り巻き起こる現象も、 何かを超えてしまったような毒々しさ故の美しさで、 ラテンアメリカ文学は私の心に忍び込んできます。 しばらくはまるかもしれない予感。 『エレンディラ』 G.ガルシア・マルケス ちくま文庫 *物語タイトルは『無垢なエレンディラと無常な祖母の信じがたい悲惨の話』 ですが、本自体は『エレンディラ』というタイトルです。 Top▲ |
by mikansky
| 2007-09-26 23:23
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