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記憶の断片

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何十年も生きていると、
膨大な数の記憶の断片が、自分の中の格納庫に
どんどんどんどん山積みになっていきます。
たとえばそれは、ゴミ屋敷の周りに積み上げられたゴミのように。
一番の下の方にうずもれている記憶は、
ともすれば何年も日の目を見ることもなく新しい記憶に押し潰されていくのですが、
それが時折、ふとしたきっかけで突然ぽろんと山の中から顔を出すことがあって、
自分の記憶でありながらとてもあたふたとしてしまうのです。

どうしてこんなことを書いたかというと、
さっき、↓ドーナツ記事を書きながら、
とても久しぶりにシンディー・ローパの『TWELVE DEADLY CYNS』を
聴いたのですが、突然、どうしようもなく切なくなってしまったのです。
実を言えば、このCDを買って聴き込んでいた頃、
私にはどうしようもなく好きな人がいました。
そしてその人との恋愛沙汰は、本当にね、どうしようもない恋愛沙汰だった。
いえ、不倫などといった問題があったわけでなく、
でも、ただ、どうにもしようのないとしか言いようのないような。
その真っ只中にいた頃、ちょうど私はこのCDをよく聴いていたわけです。
どうにもこうにも、この恋愛沙汰には先が見えないじゃないか
と思えたときに、
結局私は大鉈を振りかぶって全てを断ち切ったのですが、
そんなときには、1曲目の『I'm gonne be strong』を聴いては
奥歯を噛み締めたりもしたものです。

もう、あれから何年も何年も経っていて、
ひょっとしたら今街でその人とすれ違っても私は気づかないかもしれない
というほどにその人への想いが薄れてしまっているというのに、
このCDを聴いた途端、私の胸はきゅーっとしたわけです。
音楽と結びついてる記憶が、
その音楽を聴くことによって、記憶の山の下の方から
するすると手繰り出された感じ。
私にはこういうことがよくあります。
(多分、似たような記事を以前書いたような)
音楽ばかりでなく、匂いや、味、一瞬の景色や、日差し、
いろんなもので私の記憶の断片は手繰り出されます。
そのたびに私は胸がきゅーっとなって、
少しだけ息苦しくなる。

この"きゅー"と息苦しさは、
これまで私がしでかしてきたことへの罰なのか褒美なのか。
時々切なさに泣きそうにもなりながら、
みんなこんな思いをする瞬間があるのかなぁと
考えたりするのです。
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Top▲ | by mikansky | 2007-10-10 23:30 | other
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